東京高等裁判所 昭和60年(う)295号 判決
被告人 村城平一郎
〔抄 録〕
各所論は、要するに、原判示委託事業主らが労働保険料として同判示四銀行の中央経営労務協会(以下、単に「協会」という。)名義の普通預金口座に振り込み入金した金銭は、右協会の所有に帰属するものと解すべきであり、かりに、それが委託事業主の所有に属するとしても、委託の趣旨に従って納付期限までに右労働保険料を国庫に納付するかぎり、この間の一時流用は許容されるべきものであるから、被告人が協会振出名義の手形金の決済のため、同判示預金合計一億二〇〇万円を払い戻した行為は、業務上横領罪を構成しないはずであるにもかかわらず、同罪の成立を認めた原判決には、事実の誤認ないしは法令の解釈適用の誤りがある、というのである。
一 しかしながら、労働保険の保険料の徴収等に関する法律三五条一項が、事業主において労働保険料を納付するため金銭を労働保険事務組合に交付したときは、その金額の限度で右組合は政府に対して労働保険料の納付の責めに任ずる旨を定め、また、原判決挙示の諸証拠によると、労働保険事務組合である協会は、右の規定を受けて、「労働保険事務組合事務処理規約」と題する内部規約を定め、委託事業主から労働保険料の徴収のため交付を受けた金銭については、その目的以外に使用してはならない旨の規定を設けていることが認められる。かかる事実にかんがみると、委託事業主から協会に対して労働保険料を国庫に納入するよう依頼して交付した金銭は、使途の定まっている委託金銭として、所定の使途に供されるまではその所有権が委託事業主のもとに保留され、協会は委託事業主の代理人として本人のためにこれを保管しているものと解すべきである。したがって、委託事業主が協会に対し、労働保険料を国庫に納付すべく委託して一定金額を原判示各銀行の協会名義の普通預金口座に振り込み入金した場合においては、振込入金後といえどもこれが国庫に納付されるまで、その預金金額に対する権利が委託事業主のもとに帰属し、他方、協会はその預金を委託事業主のために占有する関係に立つのであるから、協会の代表者としてその管理保管の任にあたる被告人がほしいままに右の預金を協会の用途に費消すべくその払い戻しを受ければ、委託事業主所有のその現金に対する業務上横領罪が成立するものといわなければならない。
二 さらに、原判決の挙示する諸証拠によれば、協会はその監督官庁である東京都から、委託事業主より労働保険料の納付を委託されて交付された金銭を東京都に届出のなされた特定の銀行の労働保険料専用口座に預金すべき旨を指示され、原判示の一億二〇〇万円も右の指示に基づいて右専用口座である原判示の各預金口座に入金されていたものであることが認められる。したがって、さきに一項において認定した事実に加えて、右のような不正防止の見地から行政上の指導・規制措置が講ぜられていたことをあわせ考えると、協会が委託事業主から労働保険料の納付を委託されて原判示各銀行の労働保険料専用口座に入金された預金については、後日補填する意思及び能力の有無にかかわりなく、これを本来の使途である労働保険料の国庫納付以外の目的に流用支出することを禁止されているものというべきである。それにもかかわらず、被告人はさきに協会名義で振り出した約束手形の手形金の決済に窮した末、右の労働保険料をその専用口座から原判示のとおり払い戻しを受けて右手形金の支払いに充てたものであるから、その行為が委託事業主からの委託の趣旨に反することは明らかである。これに加えて、被告人が当時必要に応じて他の金銭をもって確実に右の労働保険料に代替させうる状態になかったことも、原判決挙示の諸証拠に照らして明らかなところである。それゆえ、右の流用は到底許容される余地がなかったものといわなければならない。してみれば、原判決挙示の諸証拠によって明らかなように、被告人が他からの借入金や委託事業主から翌期以降に納付すべき労働保険料として振り込み入金された分を、右の流用によって不足の生じた昭和五六年度第一期分の労働保険料の納付に充てるなど、穴埋めの操作に及んだため、被告人が原判示一億二〇〇万円を払い戻したうえ、これを右手形金の決済に充てたにもかかわらず、右第一期分の労働保険料の納付については当面支障を生ぜず、それは同年度第三期分の労働保険料の納付の段階においてはじめて穴埋めが不可能となり、支払不能の事態を生ずるに至ったという事情は、各所論がいうように委託任務の違背はもとより、業務上横領罪の成立を否定すべき事由とはならない。
(寺澤 片岡 小圷)